【鉄道】オホーツク海北上記 (湧網線・名寄本線・興浜南/北線・天北線)

 1983年 3月、網走から稚内まで湧網線・名寄本線・興浜南線・バス・興浜北線・天北線をと一日掛けて乗り継いだ。

 

 前々日の朝、大阪を「白鳥」で出発した私は、その後青函連絡船から「北海」そして「オホーツク」と乗り継いで前日夕方に網走に着いた。

 更に釧網線の混合列車に乗継ぎ、北浜で泊まった。初めて見るオホーツク海は、びっしりと流氷に覆われており海面は全く見えなかった。海岸線に沿って走る列車から眺めていると、流氷は無色透明ではなくうっすらと緑掛かっている事に気付いた。

 この日も、緑の流氷を眺めつつ釧網線を北上し網走に着いた。
 0番乗場には湧網線の1両だけの中標津行きの気動車が停まっていた。
 網走を出て直ぐに石北本線と別れ、原野の中を北上した。昨日来の曇天が切れて晴れ間が広がり、雪原で反射して眩しい。
 6割程度の乗客で網走を出発したが、段々と乗客が増えて常呂辺りでは各ボックスに4人キッチリ座っておりかなり賑やかになった。閑散としたローカル線を想像していたが全く違った。

 

 中湧別で名寄・雄武行きに乗換えた。
 紋別で前に2両増結したが、予め停まっている車両に直接連結するのではなく、一旦別のホームに停車して客を下した後、遠軽側に少し戻ってから、スイッチバックで別のホームに控えていた増結車両に連結するという手間の掛かる方法を採っていた。長い停車時間を利用して売店でパンを買った。
 興部で名寄行きから切り離され、1両だけになった私が乗った車両は、軽快に雄武を目指した。

 

 雄武から北見枝幸まではバスで繋ぐ。バス乗り場が分かるか少し不安だったが、全くの杞憂で駅を出て直ぐの所に有った。
時間通りバスはやって来た。海側の席に座ったが、スパイクタイヤによる粉塵で窓が汚れており、景色を堪能するという状態ではなかった。
普通の路線バスだったが、北海道であり停留所の間隔が広く、その間随分飛ばすのには驚いた。
 約一時間半、見難い窓ガラスと格闘しながらやはり流氷に埋め尽くされていたオホーツク海を眺めながら過ごした。
不思議な事に北へ向かうにつれ流氷の色が緑から青っぽく変わってゆく事に気付いた。


 北見枝幸から浜頓別へも1両だけの気動車で、夕闇が迫る中で海岸線に沿って北上した。バスに乗っていた時に気付いた流氷の色の違いはますますはっきりして、今では緑は消えて完全に青になっている。
 海水に何か違いが有るのか、氷の出来方が違うのか、それとも時間の経過による光量の違いの影響なのか、今もってその理由は知らない。
 浜頓別に着いた頃にはすっかり日が暮れていた。

 2両編成の稚内行き天北線普通列車は、ほとんど明かりの無い原野の中を進んだ。いつの間にか雪が降り始めていた。
 浜頓別を出た時には何人かいた乗客も鬼志別を出た時には私一人になってしまっていた。車外は漆黒に近い闇で、車内灯も薄暗い。一体どこを走っているのか不思議な気分だった。雪は段々と強くなってゆき、二重窓の隙間からも舞い込んでくる。壁にもたれると寒い。
 闇の中を脱出し、稚内へ近づいた頃には吹雪になっていた。

 

 稚内駅でそばを食べ、約1時間後に札幌行きの「利尻」に乗り込んだ。
 雪が心配だったが定刻に出発し、私は直ぐに眠り込んでしまった。気付いた時には岩見沢を出た頃で、名寄も旭川もまるで覚えがなかった。幸い「利尻」は雪の影響は受けず、定刻に札幌に着いた。
 札幌に着いてから気付いたが、雪の影響で釧路や網走からの夜行は運休になってしまっていたらしい。

 

 まる一日掛けて流氷に覆われたオホーツク海に沿って北上した。

 冬の北海道の荒涼とした風景と不思議に色合いを変える流氷、そして最後に一人だけで闇の中を進んだ天北線が印象に残った。

  またやってみたいと思うが鉄道はもう走っていない。